ルイージ レポート
Top > ルイージ レポート

ルイージ レポート

木はその実によって知られ、人はその行いによって知られる。礼儀を蒔く者は友情を刈り取り、親切を植える者は愛を集める

~始まり~
私の名前はピエールルイジ・ナッピ。年齢は30歳。出身はイタリアのナポリ。現在、早稲田大学で社会学の博士課程に在籍しており、日本の過疎地域について、特に地方の特産品が活性化にどのように貢献できるかについて研究している。早稲田大学に入学した後、研究のための事例、つまり研究の基準に当てはまる小さな自治体を見つけるという作業に直面した。こうして偶然、馬路村に出会った。
過疎地域と特産品を紹介したパンフレットを読み、人口800人のゆずの村が目に留まった。研究の一環として、事例として選だ村でフィールド調査をする必要があった。幸いに、馬路村が11月(ゆず収穫の時期)に実施する「ふるさとワーキングホデー」の参加者を募集していることを知り、応募することにした。
選考を通過し、2022年11月に1ヶ月間ほど、馬路村に滞在した。1ヶ月の間、地元の人たちと共にゆずを収穫しながら、研究のための情報を集め、馬路村の歴史やゆずの背景についてぶことができた。最初の1カ月はお試しフィールド調査のようなもので、2023年にまた馬路村に1年ほど移住するつもりだっが滞在できる場所が必要だった。
ワーキングホリデーの最終日は、馬路村農協に所属する5人の男性たちと一緒に農協のゆず畑に派遣された。(派遣先が変わるので、農協ゆず畑に派遣されるのは初めてだった)その5人の中には農協の専務と組合長もいた。彼らは私の研究の話を聞き、農協が所する住宅に滞在してはどうかと申し出てくれた。そうして、ずっと滞在先が決められなかった私は、ゆず採りの最終日に住宅を確保でき、運命を感じた。2023年3月に東京から馬路村に移住し、2024年1月末まで滞在した。
研究の一環として始まったフィールド調査は、結果的に人生を一変する体験となり、私の考え方だけでなく、自分の人生の指となる深い価値観にも影響を与えた。村の人達の営みや、おもてなし、優しさ、善意を教えてもらった。
~馬路で経験したこと~
馬路村に移住する人たちの中では、私は異例だったといえるだろう。なぜならば、村へ移住する前に仕事を見つけたのではなく、移住してから仕事を見つけたからである。
役場の移住コンシェルジュ山﨑さん(数えきれないほどお世話になったので移住コンシェルジュではなく、ライフコンシェルジュと呼ぶべき)のおかげで、村内で小学生を対象とした放課後子供教室のアルバイトをすることができた。
1日2時間学校に行き、子供達の宿題を手伝ったり、学校の運動場でサッカーやドッジボールなどのゲームをしたりした。これは馬路村での経験の中で一番よかった。村の未来である小学生と交流するチャンスが与えられ、子どもだけでなく、親たちとも信頼と友情の関係を築くことができたことに感謝と幸せを感じた。
他にも、2022年と2023年の11月に、ゆず収穫の手伝いをした。また、3週間ほど馬路村の役場でも仕事する機会があっり、通知書類の発送作業を手伝った。
村の行事に関しては、コロナウィルスの影響により中止になった村の活動や行事が2023年に再び開催され始めた年だったので、幸運なタイミングだった。最も印象に残った行事は、魚梁瀬の神祭とゆずはじまる祭である。
魚梁瀬の神祭では、地元の人たちと魚梁瀬神社からお神輿を担いで村中を回った。道が険しいところもあり、お神輿はかなり重かったので、簡単ではなかっが、終わった後、魚梁瀬の方々の自宅での飲み会に参加した。そのおもてなしと親切さ、そして魚梁瀬地域の人々と話す機会があり、素晴らしい経験だった。魚梁瀬に住んでいる馬路村長の家でもお酒を飲みながら村長と話をすることができて嬉しかった。
ゆずはじまる祭は、ゆず収穫が始まる前の10月末から11月初め頃に開催される。祭りの時は、様々なイベントやショーに使われるステージの設営を手伝ったり、主催者をサポートすることができた。村の多くの住民がこのイベントのために集まり、私は村のコミュニティの一員であることをこの「ゆずはじまる祭」の時、特に感じた。楽しいお祭りを開催するために、村での生活を共にしてきた顔なじみの人たちと協力し、私もその大きい家族の一員であることを改めて感じた。
紹介した二つのイベント以外にも、ほぼ毎月様々なイベントが行われていた。馬路温泉のビアホール、夏祭り、おしどりマラソンなどのイベントが村を活気づけ、村での生活を楽しくしてくれる。
~長所~
自然
社会学の研究者である私の研究方法の一つは、馬路村の人々にインタビューすることだった。一年にわたって40人以上の村民から馬路村についての話を聞くことができ、村全体についての理解を深めることができただけでなく、村の人々の背景や人生話について聞くことができた。馬路村の長所の中で、インタビューで最も言及されたのは、村の自然だった。馬路村は豊かな自然に恵まれている。美しい山に囲まれ、安田川の流れに抱かれ、その流れが村全体に自然の音色を奏で、生い茂る森が村を美しい緑に染めている。毎日目覚め、この自然の光景を眺めると、心が癒され、生きててよかったと思える。
村の人
日本の田舎に住んだことがなかったので、馬路村に移住する前は少し不安だった。人が話しかけてくれるかどうか、溶け込めるかどうかを心配していたが、余計な心配だったと馬路村は証明してくれた。村の人は皆、歓迎してくれた。村の中心まで歩くと、普段3分で着くのだが、途中で顔見知りの村民に会い、立ち話することがよくあったので、10~15分もかかった。村の人は私に微笑みかけ、温かく挨拶し、困っていれば助けてくれた。近所の人たちもよく、果物やお弁当を持ってきてくれた。特に、仲の良かった夫婦(ありがとう石橋さん)に何回も誘ってもらって一緒に音楽聞いたり、バーベキューしたり、笑ったりした。これが馬路村の人なのだ。お互いに助け合い、支え合っている笑顔の絶えない人々。私は村の人々に養子のように迎えられたと感じた。
ゆずの香り
馬路村で2年連続でゆず収穫を体験した。初めては2022年の11月だった。馬路村が2019年から実施している「ふさとワーキングホリデー」に参加して一か月ほど村の農家さんとゆず収穫を頑張った。2023年に馬路村民になってからは「ふるさとワーキングホリデー」に参加できなくなったため、「援農隊」の一員として収穫をした。馬路村に移住する前からゆずを知っており、何回か食べたこともあった。しかし、ゆずはどんな物なのか、そしてゆずでどんな商品を作れるのかを知ったのは馬路村に行ってからである。
初めて村を訪れ、バスを降りた時、村中にゆずの香りが漂っていた。そこから、村に滞在する間に、果実そのものについて様々なことを学ぶ上に、収穫に参加することで、自分の手で実ったゆずを触れて、感慨深かった。馬路村のゆずプロジェクトを立ち上げた農協の前組合長、東谷望史さんの画期的なアイデア、ゆず栽培を毎年頑張っている農家さんの努力、そして新しいゆず製品を生み出し、プロジェクトの枠組みを支え続ける農協の運営によって、ゆずは馬路村のシンボルとなり、村の伝統や日常生活の一部となっている。
最後に、馬路村のトレードマークであるゆずドリンク「ごっくん馬路村」のラベルに書かれている文章を紹介したいと思う。「ふるさとを想う時、自然が足りない時、ごっくんを飲んでください。馬路村が体中に広がります」
馬路から離れてからは、ごっくんを飲む機会がなくなったが、ゆずは私にとって懐かしいものとなった。ゆずの香りを嗅ぐたびに、そしてゆずの入ったものを飲んだり食べたりするたびに、馬路村が体中に広がる。
馬路村は私の故郷ではないが、ゆずという言葉を聞くだけで、馬路村に戻れる。食べ物や飲み物から連想される記憶の力は、人間の心と脳を繋げる素晴らしい特徴のひとつだと思う。ゆずを嗅いだり食べたりするだけで、このように村にテレポートできるのだから、村とゆずとの結びつきは、まるで魔法のようである気がする。
~短所~
馬路村の主な短所は、村の位置にある。馬路村は高知県東部の山奥に位置しており、そのため都心からはかなり離れている。山奥の村に住むということはエキゾチックで、最初はワクワクしていたが、馬路村に引っ越してから、孤立した地域に住むことの大変さが分かった。村に移ってから車を買わなかったこともあって、なおさら大変さを痛感した。車があればかなり便利になる。馬路村から最も近い都市である安芸市まではバスで行けるが、1日に数本しかない。一番近い大型スーパー(車だと30~35分の距離)や高知市内(約1時間30分)までは、村民に連れて行ってもらうことが多かった。車があっても、安芸市までは40
分ほどかかるため、大きいスーパーや病院などの施設にアクセスすることは難しい。馬路村には小さな商店が2軒あるが、大型スーパーでしか手に入らない商品もあるので、少し不便に感じた。
娯楽が少ないのも短所だった。仕事帰りに集まって飲める場所は馬路温泉のレストランだけだが、街の居酒屋の代わりというには閉店時間が早すぎる。交流センターでは、地元の若い人たちが集まって一緒に食事をしたり話をしたりするイベントも開催されていたが、これもせいぜい2~3時間のものだった。とはいえ、居酒屋やカラオケがないことにも関わらず、市役所や馬路温泉が主催する数多くのイベントが、村の娯楽場所の不足を補うのに役立っていた。
~馬路への手紙~
地方の活性化、特に馬路のゆずが村の活性化にどのように貢献しているか研究するために馬路に行った。しかし、馬路村で生活することで、気づいたことは、この村の本当の強みは、林業でもゆずでも自然でもない。本当の馬路村の心は、馬路村の人々の優しさであり、おもてなしであり、笑顔なのだ。科学的ではないし、データで数値化できるものでもないけど、村が自力で存続し続けることができている本当の理由は、馬路の「人」にある。これは、私の研究の本当の結論だと思う。
馬路村のキャッチコピーの一つは「堂々たる田舎」ですが、本当に堂々たるなのは、この田舎ではなく、馬路村の人なのだ。馬路村の人たちが自分らしく、お互いに助け合ったり、微笑み続ける限り、馬路村は栄え続けられる。
あるインタビューで、「馬路村は心を休める場所、心の傷を癒す場所である」と言われたことがある。馬路村に移住する前、私は東京に住んでいた。海外に住むと一番恋しくなることはやっぱり居場所と家族。馬路村は私に両方与えてくれた。馬路村はいつまでも私の第二の故郷であり、馬路村の皆さんは私の日本にある大きいな家族としてこれからもあり続ける。

                 馬路村のコミュニティーの一員にしてくれてありがとう
                      私を受け入れてくれてありがとう
                  あなたの時間と笑顔を共有してくれてありがとう
                   ここで作ったすべての思い出を一生忘れない
ルイージ間伐体験   ルイージ子ども教室   ルイージ交流会